書道を始めて5年。 技術はまだまだだけど、見る人の心に届く書を求めて筆を握る日々。
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地震の影響
23日から福岡学生書道連盟の連盟展が

県立美術館で行われるはずだった。

が、今回福岡を襲った地震で、県立美術館は休館に。

23日からの連盟展開催は、やむなく見送られた。

おそらく会期を改めて行われる事になると思われるが、

このまま中止かもしれない。まだ決まっていないそうだ。

今の局長陣は自分の1つ上の学年。

色々大変だとは思うけれども対応を頑張って欲しい。

例えば、

既にあちこちに張り出したポスターや、

連盟展で配るパンフレット、ビラの日にちの改訂。

案内状も送付済みだ。

新しく案内状を送付するならまた経費がかかるだろうし、

県立美術館(学生は無料)が借りられなかったら

市立美術館(有料)になるかもしれない。

・・・いや、多分県美だとは思うけど。

きっと、他にも沢山あると思う、

やらなきゃいけなくなったこと。




自分に出来る事は何だろう。

何だろう・・・。
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3月だ
3月になった。
このブログもちょっとは何か書いておこうと思う。
4月になったらきっと部活の風景で埋まるので
ここの書き手、私の事なんかをしれっと書いてしまえ。

私は高校から書道を始めた。1年の4月には書道部に入った。
一番最初に入った1年生だった。
先生は熊本の大学の書道コースを卒業したばっかりの23歳で、先生と言うかお姉ちゃんって感じだった。

私はその高校が第一志望の高校ではなく、
地元だから、と仕方なく入った高校で、様々に不満があった。授業の内容も先生達のレベルも、級友の質も。今考えればかなり思い上がりだけれども。あの時は本気だったのだ。1年の5月頃にはもう辞めたい!!と本気で思っていたし、進路指導の先生にも辞めたい、と言っていたし、一部の友達にも辞めたいと漏らしていた。大学には大検を取って行けばいいと思っていた。

こんな話が何で書道につながるか。

私が高校を卒業できたのは書道のおかげだからだ。

1年のうちに、辞めたいと言う気持ちがピークに達して、
中学の時の担任に相談した。
その時一番信頼できる人だった。

実を言うとこの人が書道をしていたから私も高校で書道部に入ったのだ。年端もゆかぬ頃から週末には200枚もお習字をさせられ、しかし大学でも書道部に入って精進した結果、授業の板書などはすこぶる綺麗だった。

そんな先生は、あんな高校もう嫌だと泣き喚く私に、
「パーフェクトな場所というのはありえないんだ。人間、その不自由な所でどううまくやっていくかが大事なんだよ。」と諭してくれた。

先生自身、中学浪人して第一志望の高校に入ったものの、大学は推薦をもらっていながら経済的理由で第一志望の私大に行けず、地元の国立大に行ったのだった。

私も地元の高校に行かざるを得なかったのは経済的理由だった。
同じ苦渋を味わった者として、そしてそれを乗り越えて来た人の言葉は、何より強かった。

そして私は高校に留まった。先生が行った大学を目指した。先生と同じように大学でも書道をしたいと思っていた。

「大学に入って書道をする」

その目標が出来たと同時に、私は部活に打ち込み、毎週土日も学校に行って書道室で朝から夕方まで書くという生活になった。部活の為に高校に行っていた。大学で書道をするために、すなわち大学に受かるためでもあったけど。

平日の放課後は、帰りの最終バスぎりぎりの時間まで職員室で個人補講を受けている事が多くて、なかなかじっくり筆を握れなかった。数学が落ちこぼれだったので、毎日個人的に宿題を出してもらって、それを家で解き、朝提出して答え合わせをしてもらい、放課後先生の所に行って間違いを先生の目の前で解き直す、というのをやっていたのだ。放課後になって、教科担任が捕まらなくて、仕方ないから書道室で書きながら校内放送で呼ばれるのを待つか、職員室から書道室に内線電話がかかってきて呼び出されるのを待っていた。その間に書けるのは半紙に小筆で数枚だ。集中も出来ない。大したものは書けない。

その反動もあって、土日には思いっきり書いていた。半切に臨書したり全紙に大きな筆で創作をしたり。

大学に行こうと思ったら放課後は補講でつぶれる。部活が思うように出来ない。
でも大学に行けなかったら書道が出来なくなる。


そんな葛藤を抱えながら、3年になって、10月に九大のAO入試を受けて、11月の末には受かってしまった。行きたいと思っていた大学ではあった。でも無理だと思っていた。模試はずっとDかE判定だったし、受かる為には数学の点数を倍取らなくてはいけなかった。3年の時点でそんな状態だった。それより、くだんの先生が行っていた地元の大学は自分の能力にも合っていたし同じ場所で書道が出来るし、私が大学に行く大きな理由は書道なのに・・・受かってしまった。と思った。嬉しいとは思った。でも書道に関して言えば、ものすごく不安になった。あの大学で書道をする自分を思い描いて今まで頑張ってきたのに・・・。と思った。

でも私は決めた。九大で、書道を頑張ろうと。
どんな所かはわからないけど、書道が出来るなら、いいと。

中学の時の担任の先生に合格を報告したら、喜んでくれた。九大を受ける時に報告の電話をしたら、「受かる気がするよ」と応援してくれた。地元に残れなんて言わなかった。私はもしかして、あの時、少しだけ、残れって言ってほしかったのかもしれないけど。


2月に、ガイダンスがあって、先輩からの自己紹介があって、のちに九大書道部の幹事となる先輩が、書道部の事も紹介してくれて、連盟展があるから来てね!と言われた。その時に出来ていた「書」も一冊くれた。

入ろう。と思った。ここで書道がしたい。楽しそうだ。と思えた。








あれから2年が経つ。
光陰矢のごとしだ。

あの時の私は、しばらく書道から離れようと思う時が来るなんて思ってもみなかった。

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